新元号が「令和」になった理由は?
「坂本八幡宮ってなんですか?」
「新元号『令和』の発祥地で、大伴旅人という人が令と和が入った歌をここで読んだのよ。坂本八幡宮の近くには大野城がある」
「大野城?」
「白村江の戦いで、日本と百済の連合軍が敗れたときに作られたお城」
博多のゲストハウスで、韓国人留学生に福岡のお勧めスポットを紹介したことを書いていて思い出したことがある。坂本八幡宮の前の道は大野城跡に続いている。
白村江の戦いとは?
663年、新羅・唐の連合軍が百済・日本の連合軍を破った戦い。新羅・唐に攻め込まれるのを防ぐために作られた城のひとつが大野城である。
朝鮮出兵、日帝支配を挙げて被害者の歴史ばかり語る韓国に対し、「白村江の戦い、元寇、刀伊の入寇は加害者のくせに」とよく言われる。朝鮮が日本に対して加害者になった歴史もあるのだ。
新元号を「令和」にした狙いは?
私も「令和」フィーバーの頃、坂本八幡宮に行ってみた。そして、大野城跡が近いことに驚く。坂本八幡宮の前の道を登ると大野城跡なのである。白村江の戦いゆかりの大野城には行きたいと思っていたので、これはちょうどいいと山道を登って大野城跡にも行ってみた。
新元号が「令和」になったのは、もしかすると白村江の戦いに注目させるのが狙いかもしれない。とにかく、坂本八幡宮が日本と朝鮮の歴史に深い関わりを持つ場所にあることは確かだ。